かさなる思い


1.ある少女との出会い

 せわしく動く人、うるさく走る車、目が痛くなりそうなネオンに照らされたいつでも明るい町、そんな場所からゆっくりといつものように遠ざかっていく。

 ふと携帯のバイブが鳴る。

 メールが来たみたいだ。

 今となっては、前の学校の友達。

件名は“また会おう”

 僕はそのメールを見て、あたりさわりのない返信をして、携帯を閉じた。

 多分それでも、もう会うことはないんだろう。

 だって、僕はもうどこにも行かないんだから。

 どこか現実離れした事実に僕はどうしていいのかが分からなくなる。

 電車ほどじゃないけど、景色が移り変わる。その雰囲気を一枚のガラス越しに、どことなく他人事のように眺める。

 しばらくして、トンネルの中に、橙色の光で照らされている薄暗いトンネルの中に入って、そのガラスには自分自身の顔がくっきりと映し出される。

 そんなに長くない黒髪で、半分閉じられた瞼の奥に、これまた真っ黒な瞳があって、つまらなそうな顔がそこにあった。

 まるで、それが日常であるように、僕はそこにいる。

 そして、これからの毎日が僕にとっての本当の本当に普通の日々。

 どこに行くこともなく、別れもなにもない毎日がそこにある。

 初めはそう思ってた。

 

 

 桜の花が咲きみだれ、新芽が出てきた5月頃に僕はまた転校した。

 親の転勤が多いことで別に有名じゃないけど、そんな僕の家族はこの港町に永住することになった。

 なんでも、父親がこの町にある支部の支部長、簡単に説明すると、そんな役職についたみたいで、こういうふうになった。

 いわゆる左遷だ。

 心の内でひっそりとそう思った。

 しかし幸いなことに、学校の中の、主に高校1年生のコミュニティーにはまだ確固たる関係が築かれていなかったみたい、というよりも転校生としてのネームバリューの方が大きかったみたいで、気安く話すことができる友達もすぐにできた。

 多分、これから暮らしていく上で、欠かせない存在になるんだろう。

  だけども、それがまだ所詮は親友とかそういう域まで達してはいないわけで、今日みたいな快晴の休日でも僕は何もすることも、いってしまえば友達と遊ぶ予定 もない。それでいて、家に居て引きこもっていても、ただ母親に家事を手伝わされて、妹の愚痴を聞いて過ごすしかなくなるので、気分転換という意味も含め て、ちょっと散歩でも、と思って外に出てきてみた。

 「ふぅ……暑いな」

 その日は5月にしてはやけに暑く太陽が背中を焼き続けていて、そうするとどうしてか涼しさ、というか日陰に足を向けようと体が勝手に動いて、山の方向へと足が向いてしまう。

 もともと人が多い港側は好きではないし、どちらかというと今は1人になりたかったてのも、あったかもしれない。

 その山の入り口に着くまでにそんなに時間がかかったわけではなかった。

 ただ、そこら辺にまで来ると、さすがに民家も少なくって、随分と畑が増えているようだった。

 僕はそのまま山の入り口に着くと、そのまっすぐな階段を1つ1つ登って行って神社に着いた。

 何も、その神社を目的地にしていたわけじゃないけど、階段はそこで終了していて、まだ山の中腹に見えるけれど、そこから先は行くことができなかった。

ただ、神社といっても寂れていて、人っ子一人もいない。祠に賽銭箱があって、狛犬がいて、塗装が剥げた鳥居があって、まわりにそこそこ高い木がある。

そんな場所だ。

そして、その神社のある平らな場所を歩いていた。

神社の脇にはベンチがあって、その奥にも道は続いている。

なんとなく僕はその道を進んで行って、驚いた。

神社の裏には、この町が広がっていた。

山自体から少しつきだした形になっていて、手すりがもうけられている。

僕はそこに思わず乗り出した。

5月にしては澄み切った青い空、青い海、手前の方から奥の方へと家が増えていって、なんともいえない気持ちになる。

今まで見たことのない景色でもあった。

今まで、いろんなところを転々として見てきたけど、そのどの町も一般的に都会と呼ばれる場所だった。

だから、この町に来て初めて、きれいな景色を見た。

 そこで、身を乗り出してしまうのは当然だ。

 手すりに手をかけて、そこに少し強い力をかけて、その景色をもっと近い場所で見たいと思った。

 そして、その手すりは折れた。

 目の前に見えたのは、山の急な斜面。岩や石が出ていなく、土と落ち葉だけ見えるのは幸いだ。

 いやっ、それどころじゃないよ。

 こんなの……。

 「ちょっと、ないでしょ……」

 その時、口に出した言葉は、誰にあてたわけでもない、不運を嘆いたものだった。

 

 

 僕はしばらくそこに死んだように横たわっていた。

 体中に痛みが広がっていて、全然動くことができなくて、息をしっかりとすることさえ難しかった。

 あれから僕の体は半重力下に置かれて地面を転がって落ちた。

そして、止まることなく木の葉を体に巻きつけながら、土を頭からかぶりながら、転がり続けた。

木やその他のものにぶつからなかったのが幸いで、それを考えると寒気がする。

結局、僕は自然に止まるまで痛みとその他もろもろのものを身にかぶりながら、川へ入って、そこで止まった。

川と言っても、物凄く浅いみたいで、倒れていても、僕の体の半分も埋めることはない。

ただ、言うことがあれば、僕の体は川の中にあった石でかなり傷ついたみたいで、ずきずきと体が疼く。

そこで、川のせせらぎを1ミクロンの近さで感じて、水に滲み出している血を無意識に眺めながら、しばらく時間が経って、体を起こすと言う思考にいたった。

どのくらい時間が経ったかは分からないけれども、それよりもまず周りを見渡して、ここがどこだか分からないことにあせった。

 あせって、そこに体の痛みも加わって、しばらくは茫然と何もせずに突っ立ていた。

どこか、出口を探さなくちゃ。

そう思いったったのは、またそれから数分経った後のことだった。

 必死の思いで足をひきずって、川の流れている方向へ進む。

 確か、山の中で迷ったときは川の流れている方向へ行けばよかったはずだ。

 テレビのワイドショーか、漫画か、何かの本で読んだあいまいな記憶を頼りにして、僕はそうして、川を下って行った。

 足をひきずっているから、その痛みと共にゆっくりと進んでいくことしか出来ないけれども、それでも川幅が広がっていくのをこうしてみていると、もうすぐだ、と自分に言い聞かせる事が楽になってくる。

 それでも、確実に疲労は体に蓄積されていて、いくら川の近くで木が生い茂っているからと言っても、きつくなっているのを実感せざるを得ない。

 靴も最近買ったばかりのはずなのに、いつぞやの富士登山のときみたいに古臭く変化している。

 いろんな鳥の合唱が聞こえてきても、1人の人声も聞こえてこなく、かなり不安になっていく。

 絶望的と言ってしまえば絶望的だ。

 体を動かし、痛みを感じて、不安になった、このころ心のもやっとした黒いものが抜けていくのが自分でもわかった。

 ん、なんだ、これは?

 自分でも理由は分からない。

 何かを見たわけでも、何かを思ったわけでもないのに、それはそうして自然に起こった。

 そこに立ち止まって、周りを見渡して、耳をすまして、そうして、その理由が僕にはわかった。

 鳥の鳴き声、川のせせらぎ、木々のざわめきがまるである1つのメロディーの伴奏のように寄り添っているのが。

 そして、その中心に、1つのきれいなどこまでも澄んだ歌声があることが分かった。

 その歌声を無意識に僕は聞いて、そして不安は取り除かれた。

 不思議な気分だ。

 歌に何かを感じることなんて、今までなかったことだったから。

 また、無意識のうちに、僕はその歌声が聞こえてくる場所に向かっていた。

 ただただ、人がいるとか、出口があるかもしれないとか、そんなことは一切考えずに、僕はひたすらにその歌をその歌声を近くで聞きたいと、どんな人がその歌を歌っているのか知りたいと心のそこから思った。

 そして出会った。

 随分と歌声が大きくなってきて、川のそばにある目の前の大きな岩を通り抜けた、そこで僕は彼女に出会った。

 彼女の歌っている歌の邪魔にならないように、音を立てずそこで見て、聞いた。

 その歌は僕よりも年下に見える、少女が歌っていた。

フード付きのマントを着て、すみれ色の髪を水で滴らせながら川の中で歌っていた。

まるで、小さな森の妖精が宙に身を任せて森中に生気を漂わせているような、そんな歌だ。そして、そんな歌を歌う少女はどこか幻想的でとても絵になっていて、なんだかどこか他の世界に迷い込んできた羊みたいな気分でもあった。

 歌を聞き続けていた。

だけども、それはいともたやすく終わりを迎えた。

突然、歌声が止まった。

 そして、その少女と目が、その琥珀色の瞳と目があった。

 「だ、だれっ?」

 その少女が先に口を開いた。

 その目はすこしおびえている。

 やばっ、と瞬時に思って

 「あっ、いや、決して怪しいものでは……」と弁解したつもりだった。

 後ずさりをして。

 そして、それが直接的な原因で、水で濡れている石の上で僕は足を滑らせる。

 「えっ、いや、ちょっ!」

 またもや、突然のことに体が対応していかなくて、そして僕の頭は思いっきり地面に敷き詰められたみたいにそこにある石にぶつかった。

 声を出す間もないまま、そうして僕は耳にさっきの歌の残滓を感じながら、その少女を目の前にして、意識を手放した。


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